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湯築城跡を守る運動は、愛媛県が湯築城跡に日本庭園を造ろうとし、その公示前の発掘調査で大規模な中世の遺構が確認されたことに始まる。この貴重な遺跡を壊してはならぬと、先ず愛媛大学の研究者たちが「道後湯築城跡を考える会」を結成(1989.09.08)し、その呼びかけに応じて集まった一般市民らと共に保存運動の必要性と、そのための市民レベルの団体結成を確認した。かくして研究者と一般市民が一体となった湯築城跡保存と活用を目指す市民運動が発足した。
その後直ちに、緊急アッピールを県当局に提出したが、知事・教育長は多忙を理由に面会を避け、代わって応対した壷内生涯教育課長は「文書による保存も立派な遺跡保存」と述べ、遺跡を保存する意志は見せなかった。
この事態に守る会は街頭署名を実施し、県議会に請願署名(19,627人)を提出した(1989.12.05)。この請願は文教委員会と建設委員会で審議され、継続審議となった(1989.12.13)。
このように僅か4ヶ月の間に矢継ぎ早に行動しているが、このエネルギは緊急性を要するという危機意識から出たものであり、今記録を読み返すと、当時の危機感と熱気がひしひしと伝わって来る。。
この間の出来事は年表をご覧頂きたい。
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