「ゆ づ き」  16号 1998.11.28発行
 
 
「道後湯築城跡を守る県民の会」のホームページ開設に至るまで   
                     インターネット担当運営委員 土居 敬之介 
 

 当会のホームページ(以下HPと略記する)「道後湯築城跡」は、当会会員の二神重則さんのHPの片隅に間借りする形で早くから開かれていました。私が当会を知ったのも二神さんのHPを見てのことでした。 
 湯築城跡を史跡として保存する運動を進めるに当たって一番の問題点は、湯築城の知名度が低いことにあると私はかねがね感じていました。道後に住む人なら道後公園は知っていますが、必ずしも湯築城を知っているとは限りません。地元の人間ですら知らないようでは、保存を叫んでも説得力は弱いと言わざるを得ません。 

 ホームページ開設提案  
 私が総会の席で当会自前のHPを開設することを提案したのも、湯築城跡のこと、道後湯築城跡を守る県民の会のこと、これらを広くアッピールし、知名度を上げることが目的でした。 
 私の提案の後直ぐに、島津代表が二神さんに運営委員に就任しインターネットを担当するよう要請なさいました。それは良かったのですが、二神さんは土居さんが一緒にやって呉れるならと条件を出し、私も引っ張り出されることになってしまいました。二神さんはお仕事が目茶苦茶忙しく、お一人ではとても出来そうもない状況にあることを知っていただけに断れなかったのですが、秋でもないのに唇寒い始末ではありました。 
 その後4月13日に開催された運営委員会で、会のHP開設が決定し、四国インターネットを下調べすることとなりました。そこで四国インターネットの社長・副社長に会の目的や実状をお話し、ご配慮をお願い出来ないか伺ったところ、同社は文化事業に力を入れる方針なので出来る限りの支援をする旨回答を戴きました。 
 この結果を川岡代表にお伝えし、5月13日に島津・川岡代表と四国インターネット松山本部を訪問し、社長・副社長と会って戴きました。その席でインターネットのこと、四国インターネットのことなど説明を受け、設備を見学し、インターネットを利用した活動を幾つか見せて戴きました。それらの中で強く印象に残ったのはアメリカの某大学のオンラインカレッジで、文字だけでなく、音声や画像を併用して講義が進んで行く有り様に、両代表とも凄く感心していらっしゃいました。 

 インターネットは貴方を知っている 
 最後に両代表のお名前を入れて検索したところ、島津代表は12件、川岡代表は7件が見つかり、お二人ともびっくりしていらっしゃいました。そこで「先生がインターネットは知らないと仰っしゃっても、インターネットは先生を存じ上げていると言ってます。」と申し上げ、大笑いとなりました。 
 その日の夕方から5月の運営委員会が開かれ、その冒頭で島津代表から「インターネットなるものはまだ良くは判らないが、今どえらいことが始っている。」との発言があり、四国インターネットと契約を結ぶことが承認され、IDが取れ次第、二神さんのHPから関係するものを移して会のHPを開くことになりました。 

 六月十日開設  
 その後、ある事情から当初契約を予定していたコースが廃止されることとなり、そのため予期せぬ問題が生じたのですが、四国インターネットの親会社のGFiネットが、サポートの一部を肩代わりして引き受けて下さるなどのご配慮を賜り、無事契約を済ませました。その後、四国インターネット殿ではHP開設に必要な準備作業を特急で行なって下さり、6月10日に無事HPを開設することが出来ました。GFiネット殿ならびに四国インターネット殿に厚く御礼申し上げる次第です。 

 文化財保存運動の会では初のHP  
 当会のHPは、遺跡等文化財の保存運動を展開している団体としては多分初の開設だと思われます。その実績に立って、6月14日新潟市で行われた全国文化財保存協議会の大会において、川岡代表が当会の運動の経過報告と共に、当会がHPを開設したこと、各地の遺跡保存運動においてもインターネットを活用し、相互に連携を図るよう呼びかけを行なったことは、当会の誇りであり、HP開設に携わったものとしてもこの上ない喜びです。 
 新しいHPは、基本的には二神さんのHPから当会に関連する部分を移したのですが、それだけでは物足りないからと、二神さんは忙しい中を湯築城跡まで出かけて写真を撮り、更に先頭ページに配置するシンボルロゴを作成して下さいました。因みに「湯築城の今」に掲載されている写真は総て、二神さんが当会HPのために撮影して下さったものです。 
 その後いろいろな方の意見を伺い、見易くするためとメンテを容易にするためフレーム機能を使って組み直し、「リンク集」を設け、「談話室ゆづき」を開き、つい先日は配列の順番を変えるなど、HPも少しずつ変化しております。今後更に価値有るHPとするためには、湯築城とそこの主であった河野氏をもっと良く知って貰うための工夫が必要です。そのための方策は運営委員会等でご相談したいと思います。 
 HPを作っても多くの人に見て貰うにはPRが必要です。PRの第1号は四国インターネットの新着情報でした。これは川岡代表に原案を書いて戴き、6月15日に掲載されました。 

 城郭フォーラムら支援 
 PRの2つ目として Nifty Serve の3つのフォーラムに紹介文を投稿したところ、城郭フォーラム FSIRO と四国フォーラム FSHIKOKU で反応がありました。特に FSIRO はインターネットのHP、inet-FSIRO の先頭に当会のバナーを配置してを応援して下さる旨を宣言し、同時に当会HPにリンクするなど絶大なご支援を頂戴しております。このご好意に対し誌面を借りて心から御礼申し上げます。勿論当会からもinet-FSIROにリンクを貼り、相互リンクと致しました。FSIRO の会議室においては、一時期河野氏や湯築城の話題が続き、毎日のようにレスを交換致しました。いつかこれらの方々が松山を訪れる日があると思いますが、その時は当会として歓迎できればと考えております。 
 3つ目として、インターネット上に沢山ある掲示板のうち、これと思う所に紹介文を書き込みました。その結果、NTTが地域情報を発信している「ハローネットじゃぱん愛媛発」というHPから相互リンクの申し入れがありましたので、即刻受諾し、今は相互リンクしております。 

 検索エンジンに登録 
 4つ目は多くの検索エンジンに登録することです。今のところ「goo」に登録しただけですが、同時に複数の検索エンジンに登録するサービス「一発太郎」というHPを見つけましたので、これを使って近日中に登録したいと考えております。 

 ネット仲間へメール→貴重な意見頂戴  
 5つ目はネット上で知り合った人に片っ端からメールを送って、当会HPへ勧誘したことです。この結果何人かの方から貴重なご意見を頂戴しました。これらのご意見は今後HPを充実させるために大いに参考になるものです。 
 もう一つ、一人の女性がたくさんの人に当会のHPを見せて意見を求め、それを詳細に知らせて下さっています。集まったご意見はそれぞれ肯けるもので、これを参考にして幾つかの点を改善しました。この誌面をお借りして厚く御礼申し上げます。 
 「談話室ゆづき」においても、開設後間もなく九州在住の専門家の方から真摯な投稿を戴きました。本当に有り難いことで、取り敢えず私からレスを返し、追って川岡代表から専門家としてのレスを投稿して戴きました。また周さん(ハンドル)という方はしばしば書き込んで下さり、ご自分のHPからリンクを張って下さいました。周さんのHPはアクセス数が急速に伸びていて、私どもとしても大いに参考にして参りたいと思います。談話室に大勢の方の投稿が集まるようになれば話がはずみ、活気を帯びてくる筈です。 
 続いて渡部会員から北条市で行われる河野氏関係交流会の案内が投稿されました。これにより河野氏の末裔が連絡を取り合っていることに始めて気が付いたのですが、これ以外に、一遍会や、土居・得能氏関係の会もあるそうで、当会としてもこの方々と連絡を取り合うことが必要だと思います。 
 以上の如く兎にも角にもネット上での交流が始りました。今はまだささやかな動きに過ぎませんが、伊予は道後の地で投じられた一石の波紋は、いつの日にか大きなうねりにまで成長するであろうことを信じて止みません。 

 

 

湯築城跡の調査報告書の公開が遅れている  編集部 

 「ゆづき」編集部では、県の埋蔵文化財調査センター(埋文センター)による発掘調査の報告書が纏まったらしいという情報を得て、発掘調査中の現地に埋文センターの方をお訪ねしました。慎重な発言で、「まだ、公表されていませんので、私達の方で詳しい説明はできない段階」という事でした。慎重な発言の中から取材のほうで確かめられたのは、次の諸点です。 
1.原稿は印刷所に回っている。 
2.発掘調査の成果については報告書を見て もらえば分かる。 
 ところが、運営委員の一人が他の件である印刷所で偶然に”その印刷所が湯築城跡の発掘調査報告書を印刷した”という事を知ったと言います。しかも、「既に六月に製本を済ませ、納品しました」とその印刷所は言っていた、と言うことです。 
 完成した調査報告書が五ヶ月間も公表されずいいるとは、どういうことでしょうか。一日も早く調査報告書の公開を望みたいものです。 

 
 
 
文全協第29回大会参加記      代表委員 川岡 勉  
 

 六月十四日、新潟市の新潟大学医療技術短期大学部で文化財保存全国協議会(文全協)の第二九回大会が開催された。今年の大会テーマは、「市民のための文化財保存−21世紀への展望−」というもので、「道後湯築城保存運動の到達点」という報告をおこなった。以下は、この文全協大会への参加記である。 

 初日に現地見学会  
 例年の文全協大会では、大会があった翌日に見学会が設定されるのであるが、今年はいつもと違って先に見学会がおこなわれた。つまり、大会の前日である六月十三日(土)に見学会が開かれたのである。残念ながら都合により私はこの見学会には参加できなかったのであるが、主催者の予想を三倍も上回る100人を超える地元市民の参加があったようである。マイクロバス五台を連ねて、新津市八幡山、和島村の八幡林、巻町の角田山の遺跡群を回り、好評を博したという。 
 翌日の大会も、これまでで最も多い150人の参加者があり、大きな成功をおさめた。大会午前中は、各県の文化財保存運動の報告がなされた。トップバッターが栃木県寺野東遺跡の保存を考える会の松島隆裕氏の「栃木県の保存運動」、つづいて滋賀県皇子山を守る会の松田常子氏の「滋賀県の運動」、三番目が「道後湯築城保存運動の到達点」、最後に大分県文化財保存協議会の用松律夫氏の「大分県における文化財保存運動の展望と課題」であった。どの保存運動も、地域に根ざして地道で息長い活動をつづけている。それぞれ個性的でありながら、学習活動を重視していること、市民運動らしい創意工夫をこらしていること、マスコミの利用や広報活動など、とても共通点が多いのに驚かされた。マンネリズムをどう打開するか、活動の担い手の高齢化など、抱えている問題もかなり共通している。 

 「守る会」のホームページ開設を紹介 
 また、私は、私たちの会でインターネットにホームページを立ち上げたことを報告し、文全協でもホームページを作って全国の文化財保存運動のセンターとしての役割を強めて欲しいと要望したが、期せずして滋賀県の松田氏からも同様な訴えがあって、考えていることは同じだなあと共感しあった次第である。 
 午後は、まず新潟県の文化財保存運動の中心であり文全協の代表委員でもある甘粕健氏が、「新潟県の文化財保存運動の歴史と現状」と題して報告をおこなった。新潟県は全国でも有数の文化財保存運動が盛んな地域であり、戦後数々の保存運動の具体例が報告され、先進的な取り組みの様子がうかがわれた。それにつけても、新潟県の保存運動の高まりにおいて甘粕氏の役割は大変大きなものがあり、そうした核になる人間がいるかいないかによって、文化財をめぐる住民意識には大きな差が生まれるし、地域の遺跡の運命が決定づけられることが痛感された。 
 つづいて佐藤信氏(東京大学教授)による「八幡林遺跡から下ノ西遺跡へ」、椎名慎太郎氏(山梨学院大学教授)による「曲がり角に来た文化財保護システム」という二つの記念講演がおこなわれた。佐藤氏の講演では、新潟県から出土した木簡に関する詳細な分析がなされ、越後の古代史におけるその重要性が明らかにされた。椎名氏の講演では、いま検討が進められている文化財保護法の第五次改訂に見過ごせない問題点が含まれていることが示された。とくに、地方分権構造改革の一環として文化財保護に関する多くの権限が国から地方自治体に移管されることにより、地方によっては文化財保護の水準が大きく切り下げられる恐れが出て来るとする指摘は、愛媛県の文化財行政を想起した場合他人事ではあるまい。 

 市民の立場に立った文化財保存  
 全体として、各地域で文化財保存運動に関わっている人達が、互いの経験や悩みを持ち寄って交流を深めることにより、実り多い大会になったと思う。多くの参加者に感動を呼び、心温まり元気が出る大会であった。21世紀に向けて、市民の立場に立った文化財保存とはどうあるべきか、今後さらに議論を盛り上げて行かなければならないであろう。私も、多くのエネルギーをいただいて帰途についた次第である。

 

 

【私の提案】史跡公園としての湯築城跡の今後について 
                        運営委員 古谷直康 

その1 時間を掛けて全面発掘継続 
 湯築城跡は全国第一級の史跡という事は、専門家の一致した見解だ。ぜひ、全面発掘をしてほしい。そして、その過程を公開して順次復元できるものは復元して行く。発掘者と市民・観光客の距離をできるだけ縮めて行くこと。この方法は、佐賀県の吉野ケ里・青森県の三内丸山遺跡など、多くの先進地で成功している。 

その2 研究所機能を持つ資料館を建設 
 なるべく早く、資料館を建設する。その場合、研究所を資料館の両方の機能を持つものにして行くべきだ。福井県の一乗谷・広島県の草土千軒などがモデルになると思う。湯築城跡の場合は、その出土品から、中世瀬戸内歴史資料館とでも名称をつけても良いと思われる。 

その3 研究所的資料館を瀬戸風峠に 
 研究所・資料館の建設場所を瀬戸風峠にという考えには幾つかの理由がある。まず、資料館から湯築城が一望できるということ。そして、湯築城跡は、史跡としてそこには復元以外の建造物を避けたい。次に瀬戸風峠の眺望を生かすこと。更に、観光地道後の駐車場問題解決になるということ。つまり、瀬戸風峠の伊台地区に駐車場を確保し、トンネルで道後と結ぶ事ができる。私は20年近く祝谷に住んでいて、瀬戸風峠の眺望の素晴らしさと伊台と道後の直線距離が短いことは確認している。 

その4 湯築城など松山の案内の改善 
 2年前、青森県の三内丸山遺跡の見学で色々なことを学ばされた。その一つに三内丸山での観光案内が優れていたことがある。市民が専門家の講習を受けて認定され、説明役をしていた。その説明が学問的な裏付けのあることに驚いた。松山の観光案内もよくやっていると思うが、国際観光温泉文化都市に相応しくするにためには、専門家と市民がもっと力を合わせてより質の高い案内を目指したいもの。それには、「守る会」も県・市の埋蔵文化財センターも互いに協力を保って行く必要があると思う。

 

 

KKR道後保養所『ゆづき』オープン 

 国家公務員共済組合連合会(KKR)の道後保養所が『ゆづき』と愛称名が変り、先日(11月20日)オープンしました。私達「守る会」の機関紙『ゆづき』と同名なので興味があり、取材してきました。KKR道後保養所では、従前、『泉南荘』として営業して来ました。今回、改築にあたり、全国から愛称名を募集したと言うことです。「坊ちゃん」とか「マドンナ」などいろいろな応募があった中で、「応募の多数ではなかったのですが、この地に因んで『ゆづき』としました」というのが担当者の発言でした。 
 

 
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