二〇〇一年度総会報告 |
新たな局面に応じた新運動方針を決定 |
「守る」から「どう活かすか」へ |
三月三十一日に開催を予定していた本年度総会は、芸予地震によって会場の市民会館が使用不能になり、そのために他の会場を求めて延期されていたが、四月二十一日になって、県総合福祉会館(松山市岩崎町)を会場に開催された。
藤田達生三重大学助教授による記念講演「藤堂高虎と伊予」(参加者約七十名)を幕開けに、予定時刻の十五時過ぎに総会に移った(参加者約四十名)。最初に、土居委員が、前年度の活動報告を行ったが、この一年の活動状況は次の通りである。 |
経過報告(2000年度) |
2000年 | |
2月18日
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運営委員会 |
3月11日
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湯築城搦手門発掘現地説明会 |
12日
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愛媛新聞に「搦手門・橋遺構見比べて納得 道後湯築城跡説明会始まる」の記事。 |
14日
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県議会建設・文教両委員会で、「道後湯築城跡を守る県民の会」の国史跡指定申請と調査区域拡大を求める請願」が趣旨採択された。 |
4月 2日
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記念講演会および総会 |
19日
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運営委員会 |
20日
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愛媛県土木部都市整備課が「湯築城」のHPを開設。 |
5月10日
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愛媛新聞に「湯築城跡発掘10年構造変遷明らかに 全域調査へ態勢整備を」の記事。 |
18日
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運営委員会 |
31日
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愛媛新聞に「湯築城調査報告書が完結 県、國史跡指定申請を検討」の記事。 |
6月17日
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子規博で「日本貿易陶磁研究集会 四国大会」開催さる。(第1日) |
18日
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同上(第2日) |
21日
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HP「湯築城」のアクセス数、10000人を突破。 |
7月17日
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WG(No5)「中世石手川の流路探索」の報告書、HP「伊豫漫遊」に掲載。 |
20日
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愛媛新聞「おもしろサイト」に湯築城HPが紹介される。
湯築城の外堀改修工事始まる。 |
28日
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運営委員会 |
8月25日
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運営委員会 |
9月29日
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運営委員会 |
10月21日
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埋文センター中野氏が松山市考古館講堂にて「湯築城と中世集落」について講演。 |
23日
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運営委員会 |
11月26日
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愛媛新聞に三重大藤田達生助教授の「藤堂高虎と伊予」の連載始まる。 |
29日
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運営委員会 |
12月15日
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運営委員会 |
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2001年
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1月24日
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運営委員会 |
2月 3日
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湯築城跡(道後公園)に復元する武家屋敷建築途中状況見学会開催される。 450名参加。 |
9日
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運営委員会 |
28日
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運営委員会 |
3月 5日
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島津、川岡、土居代表委員、県都市整備課訪問。別府課長、桧垣・坂本課長補佐、今井氏と会談。 |
12日
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運営委員会 |
18日
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朝日新聞愛媛版「国史跡指定を目指し、測量費を来年度予算に計上した」ことを報道。 |
24日
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芸予地震発生、市民会館使用不能 |
25日
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運営委員会 31日に予定された総会・記念講演会延期決定。 |
4月 2日
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運営委員会 21日に総会開催及び新会場を決定。改めて会員に通知することを決定。 |
16日
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運営委員会 新運動方針案検討
愛媛新聞は、「復元進む道後湯築跡、『生かし方』官民が探る 国史跡指定へ県、範囲確定急ぐ フォーラムや学習会検討、『守る会』歴史ガイド養成へ」と題し、武家屋敷などの復元整備が進められる中、県は史跡指定の範囲確定のための測量調査や、管理運営計画の検討に入る旨を報じると共に、管轄課の都市整備課の対応や城跡の保存運動を続けて来た「道後湯築城跡を守る県民の会」の動きを詳しく報道した。 |
会計報告 |
続いて、塩谷委員より次表のような決算報告と監査報告が行われ、承認された。 |
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【収入の部】 | |||
会費 |
194,000
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56,000
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-138,000
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カンパ |
97,450
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10,400
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-87,050
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資料代 |
56,700
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18,300
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-38,400
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出版物売上げ |
6,000
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2,600
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-3,400
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懇親会費 |
66,000
|
2,600
|
-3,400
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繰越金 |
60,971
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166,447
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105,476
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合計 |
481,121
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324,747
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-156,374
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【支出の部】 | |||
会場費 |
56,650
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63,590
|
6,940
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備品(文具) |
24,627
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2,695
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-21,932
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通信費 |
71,545
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28,516
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-43,029
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親睦会経費 |
79,480
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76,692
|
-2,788
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講師代 |
55,000
|
50,000
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-5,000
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会議費 |
11,000
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-11,000
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会議費 |
5,872
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-5,872
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インターネット経費 |
10,500
|
10,000
|
-500
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湯築城跡分冊代金 |
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4,500
|
4,500
|
繰越金 |
166,447
|
88,754
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-77,693
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合計 |
481,121
|
324,747
|
-156,374
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平成13年3月23日
会計帳、領収書等を照合の結果 適正に処理されていることを認めます。 監査 忽那正夫 印 |
'01年度運動方針 |
その後、川岡委員の司会で、新年度の運動方針の審議に移り、島津委員から四項目の方針が提案された。同委員が最初に強調したのは、これまで本会が主張してきた遺跡保存と国の史跡指定については、ほぼその目標の達成が見えてきたという現状に立って、今後の運動の中心をどこに置くかという点であった。そうしたことを前提にした四項目を列挙すると次の通りであった。 |
(1) 現在における県当局の対応をどう評価するか。
県当局は、土木部都市整備課が中心となって、2月3日、現在複原中の工事を一般公開した。入り口に接続した管理棟と家臣団居住区における武家屋敷二棟(各80?)を復元し、上級屋敷き地区に当たる区域に中世風庭園を復元し、それに隣接して休憩所としての四阿(あずまや)の建設が六分通り進行していた。 その後、「朝日新聞」4月18日の報道によると、県は、来年度予算に1200万円の測量費を計上して、国の史跡指定に必要な範囲を確定することを明らかにした。 以上の2点に対して、これまで遺跡を「守る」事に焦点を置いてきた本会としては、どのように対処するか。大きな曲がり角に差しかかっているといえる。 |
(2) 一部ではあるが復元整備されて「遺跡を生かした公園」として開園(’02年4月)された時、本会はどのように対応するのか。都市整備課としての事業は、その時点で完結するのであるが、その後の管理運営に関しては白紙の状態である。忽ち開園に当たってのイヴェ ントについてさえ、何一つ決まっていない。つまり、それらに関しては、これから一年間でにつめていくというのが現状であって、本会としては、自らの位置づけと共に今後の役割を十分に検討しておく必要があるのである。たとえば、「ボランティア・ガイド養成講座」の企画運営を担当するとか、あるいは、河野氏研究会を組織するとか、湯築城跡遺跡を巡ってさまざまな事業展開が予想されるのである。 |
(3) 野外博物館として歴史学習に役立てる上において、もっとも要求されるものは中世城郭遺跡である湯築城跡に関する徹底した研究である。つまり、国の史跡指定を受けると共に研究機関の設置は不可欠である。この点は、県当局は勿論、広く県下全体に呼びかけていく必要がある。 |
(4) 現在までの発掘調査では、城郭全体の本質的な把握には至っていない。その本質を明確にするためには、8・6?に及ぶ全体の発掘調査が必要である。長期にわたる全面積の発掘調査の継続を、県当局に要望する。 |
以上の提案を受けて活発な論議が展開され、その結果、次の諸点が決定された。
従来の「守る」という視点から「維持活用」という点に力点を移し、?先ず本会の名称をその趣旨に沿ったものに変更する。新名称は新しく選出された委員会に一任する。?本年秋に向けて、「ガイド養成講座」を企画実現する。この事業を成功させることを通じて本会のNPO法人化に努力する。?開園後の運営の基本として、野外博物館構想を県に提案する。つまり、正式の学芸員を配置した研究機構として中世遺跡の保存と活用と研究を展開して行くべきであるということである。?これまで通り、遺跡の全面発掘を県に要望する。現在復元の対象となっている領域は、想定される全面積の40%に過ぎず、遺跡の全貌は解明されていない。長期計画による前面発掘が必要な所以である。 |
役員改選 |
新運動方針確認後、最後に予定されていた新年度運営委員の改選に移った。執行部から旧委員全員の留任と2名の新委員の補充が発表され、全員の拍手で承認された。
十七時三〇分、予定より三〇分遅れて、二一世紀最初の総会は無事終了した。 なお、総会後五月十四日に開かれた新年度第一回の運営委員会で決定された役割分担と委員名は、次のとおりである。 |
代表委員 :島津豊幸・川岡勉・土居敬之介
会計とIT担当 :土居敬之介(会計は暫定的) 渉外担当 :島津・土居・林幸子 学術担当 :川岡・西尾和美・寺川仁 新聞資料担当 :梶野幸男 機関紙編集担当 :島津・中道茂 記録担当 :塩谷佳花 IT補佐 :中道 全般補佐 :二神重則・古谷直康・渡部一義 ガイド養成講座担当:島津・川岡・西尾・寺川・塩谷・中道 |