タイトル:お城ファンの湯築城恋歌
     Nifty Serve『城郭フォーラム(FSIRO)』代表 佐藤 真樹

愛媛県の皆さん、こんにちわ。私は東京在住の熱烈な湯築城ファンです。

 子どもの頃からのチャンバラ映画好きが高じて全国のお城を見て歩く趣味を持った私ですが、恥ずかしいことに、つい1年ほど前までは松山市の城といえば、一も二もなく、見事な石垣や現存の天守を残す近世城郭の松山城という認識でした。事実、松山城へは過去に何度も訪れ、そのたびに道後の湯に浸かりながらも、湯築城については、「温泉街の入り口に在る公園で、立ち寄っても見るべきものはない。」と、いつも前を素通りしていました。当然、河野氏に関する知識も希薄で、その居城と聞いても興味が湧かなかったというのが本音でした。私のような”城好き”ですら、このありさまですから、おそらく、一般の観光客や松山を良く知る人でも、湯築城への認識は同じような状況でしょう。そんな私が、たまたま縁あって、『道後湯築城跡を守る県民の会』の存在を知り、同会の活動内容を通じて湯築城に関心を持った経緯について、少々聞いて頂ければと思います。

愛媛県の文化センスは・・・?
 松山城といえば、松山市はもちろん、四国を代表する名城であることには異論ないでしょう。特に近年では、二の丸跡の整備が進み、見事な井戸曲輪の遺構再現など見事な史跡も多いのですが、それとは逆に、いかにもバブル感覚そのままの建造物の姿も見受けられます。そもそも、壮麗な御殿建築の史跡を再現する上で、どうして噴水や水の回廊が必要なのでしょうか?そうした形でしか史跡保存を行えない愛媛県のセンスは、失礼ながら、文化財保存の名を借りた、”箱モノ”建設主体の地方行政的発想に思えて、松山城を訪れるたびに情けない気持ちになりました。

現代の奇き縁(えにし)
 ”縁は異なもの”と申しますが、昨年のある日、私が主宰するパソコン通信の城郭情報ネットワークの中に、『湯築城』という文字が飛び込んできました。それは、インターネット上で、貴会の活動を紹介するホームページの情報でして、まさに「現代の見えない縁の糸」といえるでしょう。その時、初めて道後湯築城が重要な史跡であり、かつその史跡が行政の手によって、松山城二の丸史跡のような”開発”の犠牲となる危険に晒されていることを知りました。また、そうした動きに対して、すでに10年前から史跡を市民の手に取り戻す運動を続けてきた貴会の存在も知ることが出来ました。何より、「湯築城という中世城郭の史跡が、松山城二の丸の二の舞になる。」というショッキングな事態に、私は湯築城についてもっと知りたくなり、いろいろと学ぶうちに、その魅力にとりつかれてしまいました。それが高じて昨年11月のシンポジウムには、東京から数人の仲間と駆けつけ、戦国史で有名な小和田先生や小野先生の講演を拝聴したり、発掘現場を見学する機会に恵まれました。そして何より貴会の中心メンバーの々と宴席をご一緒出来たことを嬉しく思います。

新世紀の「史跡研究公園」提案
 実は、私自身、お向かいの大分県の出身でして、それゆえに地方自治や行政における史跡保存の難しさについては、肌で感じているところもあります。また、こちらの愛媛県では、今年の年明け早々に新風が吹いて、一足早い雪解けが湯築城に訪れているという朗報も耳にしています。その結果、新政早々に「道後公園基本設計報告書」が愛媛県から出されるなど、湯築城を取り巻く情勢も急転直下の事態を迎えているようです。県外者の立場で、敢えて”岡目八目”の意見を述べさせて頂ければ、公園としての整備を行うにしても、史跡の上に適当な武家屋敷や発掘物資料館を建設し、遊歩道を巡らせばよいとする、従来型の発想では、建設業者や造園業者を喜ばせるだけで、税金の無駄遣いのみならず、史跡そのものの破壊になりかねない懸念があると思います。河野氏を含めて、まだまだ多くの謎を秘めた湯築城ですから、じっくりと腰を据えた発掘調査を今後も継続して行って頂きたいですし、整備計画には何よりこれまでの発掘調査を担当してこられた方々に意見を伺って、現場の声と市民の声を反映した整備事業を希望します。市民の憩いの場や観光拠点としての「史跡公園」整備と、生きた歴史教育の場としての「発掘調査」とが共存両立出来る、いわば全国初の「史跡研究公園」とも呼ぶべき、新しい史跡公園の建設を今後、百年かけて築き上げるぐらいの壮大な発想を期待したいですね。遠大な構想はさておき、何よりまず、今この瞬間から出来ることは、現状の「道後公園」の呼び名を、今後、「湯築城史跡」に変えることでしょう。このことは、ただ単に伊予鉄の駅名を変えるというレベルではなく(それはそれで大切ですし、長年アピールを続けておられると伺っておりますが。)、私たちの日常の会話や意識において、”貴重な史跡である”という認識をイメージトレーニングしておくことが重要だと思います。

熱唱!”湯築城恋唄”
 では、ここで「湯築城の魅力とは?」について、私なりに考えたことを述べたいと思います。現状の史跡そのものについては、貴会の皆様の方がよほどお詳しいと思いますので、全国的な城郭比較論という視点で語らせて頂きます。
 まず、この湯築城史跡の丘陵が、古代の高地性集落だったという重複遺跡としてのポイントです。実際には、山頂部の岩盤からは、今後新しい遺跡の発見はあまり期待出来ないでしょうが、当時の川の流れを考慮するなどの新しいアプローチを加えると、意外に古代史ファンにとっても、興味深い史跡として注目を集める事が可能かもしれません。
 つぎに、河野氏の守護館としてこの城館を眺めた時に、普通は方形の周溝を基本とする館の構造に対し、円形を主体にしたそのスタイルの独特さは全国的にも珍しいといえるでしょう。実は、江戸時代に流行した甲州流軍学の築城術では、この円形の城は「死角を無くし、最少人数の守りで最大の効果を上げる」という理論から、最も理想的な城の姿と定めています。その甲州流の基となった武田信玄の築城術では、実際に馬場美濃守による円形の縄張りで築かれた城として、静岡県藤枝市に「田中城」という史跡が残っているのですが、是非、湯築城と比べてみて頂きたいですね。
 加えて、湯築城のユニークな点は、その円形が完全な円や楕円ではなく、堀の一部が屈折している点にあります。近世城郭を築く際にも、いわゆる丑寅の方角(北東)の鬼門を避ける為に、角を落とす(凹ませる)手法があるのですが、湯築城の場合も、この「鬼門避け」によるもの、川などの自然地形を流用した結果なのか、興味が尽きないところです。この円形の縄張りに関連して、私が考える最も重要な湯築城の遺構は、2重に巡らされた水堀の存在ですね。通常、こうした城の水堀は都市の近代化の波を受け、すぐに埋め立てられてしまいがちなのですが、湯築城の場合は良く残されていると思います。考古学的には、水の中は遺構や木製の遺物の保存に理想的な環境ですので、今後、こうした水堀の調査を行えば、何か新しい発見が期待出来るかもしれません。
 ここで河野氏について、すこし触れたいと思います。日本中世史の戦乱のシーンには、必ずと言って良いほど華々しく登場する河野氏ですが、その最後が尻すぼみな為か、今一つ、戦国の英雄としては影が薄いようです。しかし、その視点を村上氏らに代表される瀬戸内水軍にまで拡大すれば、多くのロマンを秘めた謎の一族として、興味が掻き立てられます。特に、今年は愛媛県が本州と架橋で結ばれる年ですし、そのルートの真下こそ、かつて海の男たちが縦横無尽に駆けめぐっていた海峡でしょうから、是非とも、これからは瀬戸内の歴史や文化を視野に入れた発想で、湯築城を盛り上げていただきます。

電子井戸端会議で城を守ろう!
 そろそろ紙面も尽きてきたようですので、最後に私の所属する団体について、少しご紹介させて下さい。パソコン通信の世界では日本最大手のニフティサーブというネットワークの中に、『城郭フォーラム』というフォーラムがあります。ここでは、プロの研究者のみならず、アマチュアの城郭ファンや歴史好きが集まって、お城に関する井戸端会議を電子会議室の中で楽しんでいます。現在の会員数は全国で約3,000人ほどですが、参加資格はただ一つ、”お城が好きなこと”です。ここでは18ほどの会議室があり、その中の一つ、11番会議室【守城論】開発と史跡保存 では、こちらの運営委員の土居さんが自らボード・リーダーを務められて、道後湯築城の保存の在り方について、日夜活発な議論が全国規模で展開されています。どうか、貴会のホームページ同様、お楽しみ頂ければと思います。

日本の宝を今後もよろしく
 筆を置くにあたり、『道後湯築城跡を守る県民の会』の皆様に、一言御礼を申し上げます。今まで、我々の先祖が残してくれた貴重な湯築城史跡を10年前の危機から救って頂いて、誠にありがとうございました。全国的なレベルでも極めて貴重なこの史跡の存在は、単に松山市民や愛媛県民のみならず、日本国民共通の財産として、後世に守り残されるべき遺構と考えます。これから貴会がNPO(非営利活動団体)へと発展し、市民の手による史跡保存が継続的に行われてゆく事を願ってやみません。これからも湯築城史跡の行く末をお願い申し上げます。私たち『城郭フォーラム』のメンバーもまた機会を見つけて、松山を訪れたいと考えていますので、その節はよろしくお願いします。

 それでは、また、湯築城史跡でお会いしましょう!

                ニフティサーブ『城郭フォーラム(FSIRO)』
                マネージャ 佐藤 真樹 (城 狂四郎)
                E−Mail:SDI01007@niftyserve.or.jp

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