「道後公園と私」             二宮 雄三

 私は、道後の住人(自分ではそう思っている。)となって二十数年になる。
 この間、道後公園には、家内や子供達を連れてよく通った。道後北代から公園までの道のりが幼い子の手を引いて歩くのに、丁度よかった。妻の手弁当を持ち、動物園の列車やプールで一日を過ごした記憶が今も懐かしく残っている。私達家族にとってとても幸福な日々を過ごさせていただいた公園に深く感謝している。
 その頃の公園は、花見のシーズンなど、人波が深夜まで途切れることはなかった。また、一年を通じて家族連れや観光客が散策を楽しんだりと賑わいを見せていたし、地元の人にとっても心の拠り所として、憩いの場としてかけがえの無いものとなっていた。
 ところが、動物園が砥部に移転し、発掘調査が始ると周囲の状況は一変した。かっての賑わいは無くなり、周りは荒れ放題、入り口の堀は、何の手も加えられず、前を通るたびに淋しくてたまらなかった。そして、一・二年で終わると思っていた調査は、十年も掛かってしまった。瀬戸大橋の開通で一時的に観光客は増えたようだが、今は減少の一途を辿っているのも、無理からぬ話である。
 その上、発掘調査の全容を解明しないまま調査が終わろうとしている・・・等々、今更悔やんでも仕方がない。
 しかし、これまでに明らかにされた、中世の城郭として全国屈指の史跡であることが解ったことは、喜ばしい限りである。
 費やされた時間はもう帰って来ないが、この素晴らしい文化遺産を今後どのように生かし、都市公園として整備されるかが課題となる。再びかっての賑わいを取り戻してほしいものである。全国的にも貴重な文化財に対する松山市民や愛媛県民の考え方が問われることになる。
 

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