「道後湯築城跡を守る県民の会」の歩み

道後湯築城跡保存運動の展開
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1984.3
県民文化会館等周辺地域整備協議会(永野浩会長)、道後公園(湯築城跡)を“日本庭園を主体とする都市公園として整備すべきだ”と県知事に答申。
(景浦勉氏=中世史専門の郷土史家=のみ史跡の調査の重要性を指摘したといわれる。)

1984〜86
県教育委員会、中世城館跡の分布調査。(報告書「愛媛中世城館跡分布調査報告書」1987.3刊行)

1988.3
同上実施計画まとまる。道後公園(8.6ha)を5つのゾーンに分ける入口ゾーン(旧動物園入口)

  1. 中世城の雰囲気の城門
  2. 水景ゾーン
  3. 2つの池・滝・せせらぎ・滝見堂等
  4. 展望広場(丘陵)湯築城資科館俳句の小路(電車通り)、花見広場(道後グラウンド)

1988.4〜
県埋蔵文化財調査センター、道後湯築城跡発掘調査計画。

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