「ゆ  づ き」 24号(2003.12.24発行)


【目次】
「道後湯築城跡を守る県民の会」改め 「文 化財フォーラム愛媛」の船出 に当り 代 表委員 土居敬之介
「守る会」代表を退任するにあたって 終 身名誉顧問 川岡勉
新たな出発に際し 代 表委員   矢野元昭
2003年度 道後湯築城跡を守る県民の会 総会報告
会員の意向調査結果報告
2002年度活動報告
2002年度会計報告


「道後湯道後築城跡を守る県民の会」改め 「文化財フォーラム愛媛」の船出に 当り 代表委員     土居 敬之介

 2003年度は総会の開催が遅れ、更にその報告を兼ねた会報「ゆづ き」の発行も年末にずれ込んでしまいました。このように総てに遅れを生じましたことを、最初にお詫び申し上げます。
 さて、本年度の総会は会に取りまして一つの区切りの総会でありました。十年を越える運動の末、湯築城跡と言う貴重な遺跡を破壊から救い、国史跡の指定を かち取るという大きな成果を上げることが出来ました。そして本年正月、愛媛新聞賞受賞の栄に浴したことは、皆様ご存知の通りです。これにより我々が運動当 初より掲げていた、「歴史的・文化的環境を守り発展させて、風格のある地域造りを進めよう」との大目標の最初の段階が達成されたことになります。
 そのような状況を踏まえて本年度の総会におきまして、会の活動を「守る」段階から「活用する」段階に移行することが決定され、会の名称も変更することと なりました。ただし名称につきましては二つの案が並立し、そのどちらにするかについて、会員全員の意見をお尋ねすることとなり、この議決に基づいて全員の ご意見を伺い、最終的に「文化財フォーラム愛媛」と改称することになりました。この間の詳細については本号の総会報告その他をご覧頂きたく存じます。
 今後の活動は湯築城跡を原点とし、湯築城跡に軸足を置きつつ、県内各所に残された多くの史跡や文化財を有機的に結びつけて捉え、そこに住む人々を中心と してこの地の理解を深めることにあります。それは郷土史ではなく、地域史をも越え、地域学の視点に立つ活動と言えましょう。では具体的にどうすべきか、模 範解答はありません。言うなら海図無き航海に船出したことになります。当分試 行錯誤が続くでしょう。
 その中にあって、昨年の歴史講座を一冊の本に纏めて出版することを、新出発最初の事業として進めます。今一つは会報「ゆづき」の充実です。今、中世全般 の見直しが行われ、伊予につきましても多くの研究論文が提出され、河野氏の理解も大きく変わりつつあります。それらの紹介や、各地域の史跡・文化財の紹介 を行いたいと考えています。これを会報「ゆづき」に入れるか、その別冊とするか、色々と検討中で、これを第二弾として取り組んでおります。
 これらを強力に進めるために、志を同じくする各地の団体との連携を図って参ります。既に話が芽生えており、近いうちに報告出来ると存じます。
 新たな活動はまだ緒についたばかりです。皆様から活発にご意見をお寄せ下さいますよう、お願い申し上げます。
 最後になりましたが、13年にわたって代表委員として活動の先頭に立ち、会の運営を続けて下さった、島津先生と川岡先生に厚く御礼申し上げたいと存じま す。島津先生はご病気のため、川岡先生は大学の職務多忙のため運営委員をお引きになりましたが、会が今日の成果を上げることができましたのは、お二人のご 指導のもと、政治色を排して純然たる市民運動に徹し、あくまで正論を貫き通した賜物です。今後はご自愛の上、終身名誉顧問としてご指導、ご鞭撻を賜ります よう、心からお願いする次第です。


「守る会」代表を退任するにあたって  終身名誉顧問   川 岡  勉
 私は、二〇〇三年八月末に開かれた「道後湯築城跡を守る県民の会」(守る会)総会で、同会代表を退任させていただいた。湯築城跡の保存運動は、一九八九 年九月六日、愛媛大学の研究者に呼びかけて「道後湯築城を考える会」(考える会/呼びかけ人:川岡勉・宮本一夫)を発足させたときに始まる。「考える会」 は、九月二十三日に「道後湯築城を考える市民の集い」という集まりを開き、湯築城跡の重要性を広くアピールした。この集まりがきっかけとなって、九月三十 日に「守る会」の結成に至るのである。私はこのときから、十四年間にわたって市民運動の先頭に立っていたことになる。
 「守る会」が発足したとき、私はまだ愛媛に来て三年余りにすぎず、年齢も三十歳そこそこであった。地域に残る貴重な歴史遺産である湯築城跡を守るために は、この地域を深く理解し、地域の歴史や文化に詳しい人間が代表に座らなければ保存運動に説得力をもたせることはできない。そう考えた私は、会の代表とし てふさわしい「顔」を求めて、地域史の重鎮と目され行政に対して発言力をもつ 方々、道後地域に影響力をもつ方々などを訪ね歩いた。しかし、そうした方々は、「これまでも県に対して色々と注文をつけてきたが、取り合ってもらえなかっ た。行政とのつながりの深い組織や人間が中心になって働きかけてもどうしようもない状況にある。そうした動きに期待するよりも、外部から有志で独自に運動 組織をつくった方がよいのではないか。自分たちは立場上、表に出るのは難しいが、内側から色々と協力させてもらう」という反応で、代表就任の承諾を取り付 けることはできなかった。
 結局、九月三十日に発足した「守る会」は、川岡・島津豊幸・鈴木成高・二宮晃史・古谷直康・森光晴の六名が世話人として会運営の中心となる形で運動をス タートさせた。その後、翌九〇年三月二十一日に設立総会を開いて会組織を整え、十一名の運営委員を選出した。そして、運営委員の互選により、川岡・島津・ 二宮の三名が代表委員に就任したのである。
 当初、会の名称をどうするかをめぐって、色々と意見が出された。私は大学の研究者による「考える会」では運動の広がりが乏しく、広く市民運動として取り 組まなければ遺跡を守る大きな力は生まれないと考えた。そこで、運動組織に「市民の会」という名称をつけるのがふさわしいように思えた。もちろん、ここで いう「市民」とは松山市という行政区画の住民を指すのではなく、個々人の主体的判断に基づいて自主的に行動する超党派の人々を意味している。しかし、この 運動には重信町や川内町の町民も加わっているので「市民」という名称は望ましくないという意見が出されて、結局「県民の会」という名称に落ち着い。私は、 こうした誤解が生まれることからみて、この土地では市民意識がまだ根付いていないことを思い知らされた。
 会組織に「守る」という言葉をつけたのは、まず直面する遺跡破壊の危機を乗り越えることが最優先の課題であったからである。私たちは署名運動に取り組 み、県民・市民の貴重な財産である遺跡を「守ろう」と訴えた。幸いなことに、私たちの訴えはマスコミでも大きく取り上げられ、広く各方面から反響を呼ん だ。愛媛県に当初方針の白紙撤回を決断させ、遺跡の破壊をくい止めることができたのは、何よりも市民運動の盛り上がりによるものであった。
 保存運動の始まりから十四年たち、遺跡の保存、遺跡を活かした公園づくり、国史跡の指定など、当初掲げた目標の多くが実現している。既に「守る」という 段階を乗り越えたということで、名称を新しくして再スタートする日を迎えたのは、大変喜ばしいところである。市民運動が新しい組織に衣替えするにあたっ て、私は会の代表から降りることにした。長年ともに代表委員を務めてきた島津豊幸氏も、病気療養中につき代表を退かれた。今後は、学者主導の運動ではな く、名実ともに市民運動として大きな力を発揮してもらいたい。私は市民運動の先頭からは降りるけれども、湯築城跡や地域の歴史・文化財にはひきつづき関心 を寄せている。新しい運動組織の一会員として協力させていただくとともに、もてるエネルギーを歴史研究に集中させることによって、自らの使命を果たしたい と考えている。
 湯築城跡の保存に十四年の年月がかかったことを思うと、一つの遺跡を「守る」のがいかに大変なことであるかを痛感する。文化財保護法には、文化財は貴重 な国民の共有財産だと謳われている。しかし、この国では文化財も公園も、いまだかつて国民のものであったことはないと言ってよいかもしれない。現実には、 国民のものでなく「お上」のものである場合がほとんどであった。だから、国民に相談することもなく、行政が勝手に文化財の処理方針を定めても当然とする意 識が蔓延してきたのである。遺跡を「守る」ためには、そうした意識と闘い、遺跡を真に自分たちのものに奪いとっていくことが必要であった(「道後湯築城跡 を守る県民の会」ではなく「道後湯築城跡を奪いとる市民の会」とすべきであったか)。つまり、受け身であっては遺跡は守れないのであり、行政を監視し、牽 制し、能動的に働きかけることによって、初めて「守る」ことができる。
 そのためには、緊張関係を伴った主体的で粘り強い運動が不可欠である。新しい運動組織が「守る」という名称をはずしたことによって、緊張関係をもたない 組織に堕してしまわないように望むところである。


新たな出発に際し 代表委員  矢野   元昭
 守る会が一三年に及ぶ湯築城跡保存への合法的な抵抗運動や陳情活動を繰り返し、“守る”と言う本来目的を達して閉幕することに成った。高齢化もあり、活 動続行への情熱エネルギーの減退もありませうか、区切りを付け、若い学者が専念復帰するのも充分意義深いことです。 湯築・湯月オンリーではマイナーでは ないかとの声もありました。私もそんなこんなを含め、歴史的な立派な成果を挙げたとは言え、一応全力投球型で一件落着、もう物足りないなと生意気に感じて いました。六十五才過ぎて、とっくに年金も入り、前期高齢者時代に最早や生き甲斐は無いかと思っていましたが厳然と残されていた。土居代表が、「市民運動 は貫徹しない。最終責任を負わない」と指摘した。では、文化財全体なら再挑戦したいと思いますがと切り返したら、「それはいヽぢゃないか、文化財を活用す る方向が尚良い」とのお互いの決断が合致しました。
 私事ですが、中小企業のコンサルタントとして個々の商売や企業と長年関わって、売上げアップだ利益がどうかと……それでも充分やり甲斐はあった訳ですが 諸事情あって、少なくとも経済一本槍には不満足があったことは否めません。歴史学や文学への望みは高度な持ち合わせはなくても少年頃までは結構心中にあり ました。
 昭和五十年代、高度成長終わって省資源型の安定成長が続く中、商店街と大型店問題の渦中で当時の知事を激怒させる偶発事態から、村八分か反動分子扱いさ れた。今でこそ外圧もあって農業・流通・金融と国際競争場裡に晒され、市場原理の名の基に零細業は淘汰されっ放しであり、地方は疲弊の一途ではないか。古 代でも中世もアジア・欧州との直接・間接の影響を受け、河野氏も四百年余盛衰を繰返し乍ら散って行った。現代も同様に中国・東南アジアから輸出攻勢を受 け、誘致工場地場産業・商店街など地方の末端分野ほど広く深く侵蝕され打撃が大きい。政治の貧困云々は無論のこと、フィロソフィーやカルチャーの欠如は自 らも含めて嘆かわしい状態だった。権勢欲で俗物支配の社会構造、金銭欲突っ出の企業や商人、進学競争偏向の教育と何やら低レベルではないかと思っている内 に経済も遂に長期低落傾向に陥入り具体的再生の目途が立たない。最早や過去と成ったとは言え、何世紀もの歴代の業績事績は破壊的に追い払い即観光や集客に 繋がらないものはスクラップアンドビルド、官民こぞって古臭いものは進歩開発の邪魔者扱い既存の商店街や農林業も無惨なものです。モダニズムの歴史の流 れ、国際化と言っても瑞穂の国、土地柄商店街、日本文化の源流広葉樹林、田園風景に鎮守の森、自然の渚も回復させたい。守る会のファイナル文集には歴史を も乗り越えて美学を発信すべきと、一遍さん学習顕彰を示唆されている。気高く、格調ある先輩方の寄稿がバックボーンと成って光輝ある守る会が発展的に継承 されることを目指します。
 伊豫國も四国も国が文化財法で指定する特別史跡と史跡が極端に少ない。近代化路線と放置未整備が原因だったろうが、史上最大のプロジェクト本四三架橋に 価値を与えるのも我々ローカル人の責務であります。微力でも、それら新旧の偉大な遺産・資産に光を当て、見直し連携させて歴史記述を含む文化財への価値付 与と活用のあり方、カウンタビリティ(説明責任)を代替補足したいものです。
 しまなみ海道から伊予路への文化観光は湯築城跡保存整備に始まり、村上水軍史料館新設、坂の上の雲博物館、大洲城木造復元、町並み博と続き本格化してい る。対岸には備後尾道市が町全体の世界遺産立候補があり、東予も別子銅山関係が緒に着いた。各界各層の史家研究陣が奮ってコミットされ、ローカルでも文化 立国できる機運が醸成されることを望んで止みません。


2003 年度 道後湯築城跡を守る県民の会総会 報告
2002 年度報告
 2003年8月31日、コムズの会議室5において、「道後湯築城跡を守る県民の会」の総会が開かれ、前年度の活動経過報告(川岡代表)・会計報告(土居 代表)・監査報告(矢野監査役)のあと、今年度の会活動方針案が提示され、意見交換が行われました。(活動経過報告と会計報告・監査報告は、総会報告・ア ンケートの後ろに、掲載させて頂きます。)

2003年度活動方針
 提示された活動方針案は、以下の通りです。
 1、「道後湯築城跡を守る県民の会」を「地域文化財フォーラム」と改称する。
 2、湯築城跡の全面調査に向けての調査計画の策定、研究機関の設立、史跡公園への転換、公園名称を『道後湯築城址公園』に変更するなどを県に対 して働きかける。
 3、湯築城の理解を深める行事などの活動を行う。 〔例:湯築城ウォーク〕
 4、県内各遺跡・史跡を有機的に結びつける活動を検討する。

 活動方針案については、土居代表から提案を纏めるまでの経過と、活動方針案の内容について説明を行いました。

 先ず経過として、昨年度総会において、「解散か存続かについて前向きの方向で検討することとし、今後一年間かけて運動のあり方を熟慮する」ことに決した のを受けて、委員会において議論を重ねて来たが、かねてから川岡代表が大学の業務で重責を担っていらっしゃるので委員を退きたいとの意向が表明されていた のに加え、今年始めから委員が相次いで病に倒れ、活動出来る人が極めて少なくなってしまった。そのため一時、このような状況では解散も止む無しと言う空気 が強くなった。しかし、幸いなことに数人の方から発展的な方向の活動を進めるため委員を引き受けても良いとの意向が表明されたので、昨年度総会の議決に 沿った活動方針案を提出するに至ったと、今回の提案を纏めるまでの経緯を報告した。

 次いで、方針案の説明に移り、第1条について「名称変更の件で、委員会としては『地域文化財フォーラム愛媛』を提案しているが、十菱先生からFAXで 『文化財フォーラム松山』なる名称が提案されたので、これも候補に加えたい。」

 第2条と第3条は従来活動の継続に当り、第2条は「湯築城跡の未調査区域の調査計画の策定、研究機関の設立、公園の性格と名称の変更を行政に働きかけ る」件であり、第3条は湯築城をより知って貰うための活動で、例えば湯築城ウォークのような地道な活動を続け、理解を深めることを目的とする。」
 第4条は新たな活動であって、「今までの経験から湯築城跡を訪れた人の多くが気持ちが安らぐ、こんな所にいつでも来れるなんて松山の人が羨ましいと言う 感想を洩らすことからも明かなように、湯築城は来てくれさえすればその良さを判って貰えるが、残念ながらまだ知名度が低く、黙っていても人が集まることは 期待できない。松山には文京遺跡、久米官衙跡遺跡群、湯築城跡、松山城など、各時代の遺跡・史跡が沢山ある。これらを一連の史跡・遺跡を組み合わせること で交流人口を増やす新たな活動を加えたい。」

 以上の説明のあと、参加者から様々な意見が出され、活発な討議が行われました。
 先ず、会の存続については異議はなく、第2条と第3条はそのまま承認されました。
 第4条については、
  ○会員の意思の確認手段、意見交換の場を作る。
  ○関連団体との連携、活動のネットワーク化を進める。
  ○湯築城と善応寺など、関連史跡をネットワーク化する。
  ○イベントを通じて史跡に関心を持って貰う。
  ○一流学者・研究者の講演会を継続して開催する。
  ○就学旅行を呼びかける。
などが必要との意見が提示され、その観点から本条も承認された。

 最後に第1条の名称について、従来活動に加えて新たな活動を展開するために、どういう名称が相応しいか、多くの意見が出され、最後に次の2つの案につ き、会員全員の意見を聴くことに決しました。
  ○文化財フォーラム愛媛
  ○文化財フォーラムゆづき


新 年度運営委員
 続いて、今年度の運営委員の選任が行われた。島津代表はご病気のため、川岡代表は職務多忙のため運営委員を退きたいとのご意向で退任され、今年度の運営 委員は次の通り5名が選任された。

 運営委員:塩谷佳花・土居敬之介・二神将・矢野元昭・渡部一義(五十音順)
 代表委員及び各委員の分担は、後日運営委員会で決定する。

 なお、運営委員はもう一人か二人必要と思われるので、運営委員会が選任した人を総会が運営委員として承認したこととする旨決定した。

そ の他の議題
・島津・川岡前代表に名誉顧問の称号贈呈
  湯築城跡を守る運動を立ち上げた川岡代表と、長年にわたり会 の運営の指揮を取って来られたお二人の功績を称え、永く記憶に 留めるため、終身名誉顧 問の称号を贈ることが提案され、承認さ れた。当会は会長制を採っていないので、称号を名誉会長するわ けに行かず、名誉顧問とした。

・会費について
  会費は現在一人1500円としておりますが、これを個人会員 は一口1500円、一口以上とし、法人・業者は一口3000円、 一口以上とすることが 提案され、承認された。

・会員名簿公開について
  会員名簿は今まで非公開としていたが、外部情勢も大幅に変わった現状に鑑み、会員相互の連絡交流を図るため、名簿を会員間 で公開したいとの提案に対 し、出席者からは条件付ながら概ね賛 同を得られた。しかし本件も会員全員の意見を聴くべきとの意見 が出され、公開する項目とともに会員全員に問い合わ せることと なった。

・会員継続の意思確認について
 当会は運動当初より、「歴史的・文化的環境を守り発展させ、風格のあるまちづくりを進めよう」と謳って来た。湯築城跡が国史跡に指定され、保存されるこ とが決まっても、運動の目標が完全に達成されたとは言えず、第2ステップに差し掛かったばかりである。しかし、国史跡に指定されたことを以って目標達成と して、運動は成功裡に終わったとお考えの方がいらっしゃることも事実である。そこで、今回の転換期に際して、会員として活動を継続するか、これで終わった として退会するか、会員一人一人にご意思を問い合わせることに決した。

・湯築城ウォークについて
 今年始めより会の有志により試験的に実施してきた。参加者は会員でなくても良い。会員全員に通知するのは費用が掛かり過ぎるので不可能。毎月第3日曜日 の午後1時30分に指定場所に集合することにしている。案内はホームページ「湯築城」の「談話室ゆづき」と「イベント&お知らせ」に掲載しているので、そ ちらを見て欲しい。参加希望の方は「談話室ゆづき」で申し込んで頂きたいが、インターネットを出来ない方は土居宛に電話またはFAXして頂きたい。
  電話・FAX(089)935―5073


会 員の意向調査結果報告
2003年度総会における議決に基づいて行った会員の意向調査結果を報 告します。

1、調査内容

 1、会員継続のご意思 (何れか一方に○)
    a、継続する   b、退会する

 以下は、会員を継続する方のみご回答下さい。
 2、会の名称 (何れか一方に○)
    a、「文化財フォーラム愛媛」    b、「文化財フォーラムゆづき」
 3、名簿公開の可否 及び 公開する項目 (何れか一方に○)
    a、公開可    b、公開不可
 公開する場合に、氏名のほかに公開して良い項目を○で囲んで下 さい。
    a、住所全部   b、住所のうち市町村まで   c、電話番号   d、FAX番号   e、携帯電話番号   f、メールアドレス

2、回答結果

   ハガキ発送数:148通
        内 回収数:78通
          未回収:70通(内 住所不明で返送:2件  死亡:1件)
   回答78通の内訳
        会員継続:52   退会:26

   会員継続52通の内訳
     【名称】について
        文化財フォーラム愛媛 :33   文化財フォーラムゆづき:18   無回答:1
     【名簿公開】について
        可 :33   不可 :18    無回答 :1

   名簿公開を可とする33通の内訳
     【住所】について
        住所全部 :27    市町村まで:5    無回答  :1
     【電話番号】の記載
        可 :22      不可 :10    無回答 :1
     【FAX番号】の記載
        可  :10     不可 :22    無回答 :1
     【携帯電話番号】の記載
        可  :7     不可 :25     無回答 :1
     【メールアドレス】の記載
        可  :14     不可 :18    無回答 :1

3、会員の意向調査結果に基づく決定事項

   a、会の名称
     文化財フォーラム愛媛と改称する。

   b、会員名簿の公開
    ・名簿は公開すべきであるが、公開不可とした方は記載しないのが妥当と判断されます。
    ・名簿に記載するのは「氏名」と「住所は市町村まで」とする。
    ・配布先は、「全員」とするか、「公開可」として方のみとするか、なお検討を要する。


4、付記

  a、今回の調査で未回答の70人の内、今年度の会費を納入して下さった方が4人、前年度に会費を前納して下さった方が2人いらっしゃいます。この6人 は会員継続の御意思と判断されますので、現時点における会員総数は58名となります。
  b、現時点での会員数58人のうち9人は、当フォーラムの趣旨に賛同して、今年度総会以降に入会して下さった方です。

以上


2002 年度活動報告
5月
 26日 2002年度総会開催。夜市民会館食堂で懇親会開催。
6月
 14日 運営委員会代表に島津・川岡・土居の3名、渉外(広報を含む)担当に島津・高井、学術担当(歴史講座担当を兼ねる)に川岡・寺川、会計及びイン ターネット担当に土居を選任。
 21日 文化審議会が中世伊予国守護河野氏の居城・湯築城跡(道後公園)を国史跡に指定するよう遠山敦子文部科学相に答申。
 23日 歴史講座「伊予の歴史と湯築城」第6回 コムズ大会議室参加者およそ70名
     日和佐宣正「伊予の中世城郭」
7月
 12日 運営委員会
 21日 歴史講座「中世伊予の歴史と湯築城」第7回 コムズ大会議室 参加者凡そ60名
     土居敬之介「湯築城の立地と道後平野」
8月
 12日 運営委員会
 18日 歴史講座「中世伊予の歴史と湯築城」第8回 愛媛県美術館講堂 参加者凡そ60名
      中野良一「伊予の中世遺跡と湯築城跡」
9月
 9日 運営委員会
 15日 歴史講座「中世伊予の歴史と湯築城」第9回 愛媛県美術館講堂 参加者凡そ50名
      柴田圭子「湯築城の出土遺物」
 20日 湯築城跡が国史跡に指定。(官報告示)
 21日 愛媛新聞は湯築城跡が国史跡に指定されたことを報道。
10月
 5日 歴史講座の一環として岩堰見学会開催。参加者7名。
 9・10日 愛媛新聞『論 えひめ2002』欄に「湯築城跡の保存が切り開いたもの(上)(下)」川岡勉(愛媛大学教授・道後湯築城跡を守る県民の会代
表)を掲載。
 16日 運営委員会
 20日 歴史講座「中世伊予の歴史と湯築城」第10回 愛媛県美術館講堂 参加者凡そ60名
    西尾和美「湯築廃城と統一権力」
    7回以上出席した方49名に修了証を授与。

11月
 2日 岩堰見学会第2回開催。参加6名。
 9日 「多文化社会研究会」公開シンポジウム 
    松山城築城400年記念『湯築城から松山城へ』 愛媛大学共通教育大講義室
 17日 運営委員会  道後湯築城跡ボランティアガイド協議会(仮称)より協力して欲しいとの打診あり。協力する方向で協議して行くことに決定。
12月
 20日 運営委員会  「第51回愛媛新聞賞」を道後湯築城跡を守る県民の会に贈呈されるとの通知(12月14日付)を受領した旨、島津代表より報告。
 22日 愛媛新聞賞受賞の件をHPに掲載。Niftyの城郭フォーラム11番会議室にも報告。

2003年
1月
 1日 「第51回愛媛新聞賞」受賞
 8日 愛媛新聞賞贈呈式  午前11時〜   ホテルJALシティ松山 3階ホール
 16日 運営委員会
 18日 湯築城ウォーク 第1回
2月
 3日 運営委員会
 9日 第51回愛媛新聞賞記念祝賀会  午前1時〜 にぎたつ会館 芙蓉の間
 15日 湯築城ウォーク 第2回
 17日 文集案内発送
3月
 5日 運営委員会
 15日 湯築城ウォーク 第3回
4月
 12日 愛媛新聞「道後公園開園1周年 地域の「湯築城」模索 魅力発信へ長期展望必要」
 20日 湯築城ウォーク 第4回
 28日 運営委員会
7月
 5日 運営委員会
 13日 運営委員会
 15日 「湯築城周辺の遺跡展  〜みえはじめた城下の姿〜」始まる(〜11月9日)
    展示会場:湯築城跡復元区域 武家屋敷2
 27日 湯築城ウォーク 第5回
 27日 河野氏関係交流会
    14‥00〜16:00 
    北条市立ふるさと館
    西尾和美
    「小早川隆景の伊予支配と河野氏」
8月
 2日 運営委員会
 10日 運営委員会
 31日 2003年度総会


2002 年度会計報告

2002年度決算報告

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